『riko』

カウンセラー

ADHDや自閉症スペクトラムなどの特性を持っている二児の母です。

今も子育て奮闘中!!
お母さんの切実な思いを一緒に話せる・聞ける場所がないなら私が作りたい!

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どんな想いで子育てしながら発達障がいを知り、自分をどう変えていったか、どんな想いをもってカウンセラーになったかを綴っています。興味があれば読んでいただけると嬉しいです。

変わってしまった日常

神奈川県に次女として生まれた私。中学生からの夢だった美容師になりたくて専門学校を卒業後、とある美容室に就職。スタイリストを目指し練習をして、もうすぐデビューというときに、妊娠が発覚…。『デビューしたい』『諦めたくない!!ここまで来たのに』『でもお腹に新しい命がある』『守りたい』と自問自答を繰り返し、オーナーには、「出産前まで働かせてほしい」と、お願いをしました。しかし現実は、つわりが早く来てしまい出勤できない日々。つわりが終われば出勤できると思っていましたが、いっこうに終わる兆しが見えなかったのです。…悔しくて、悔しく毎日泣いたり後悔もしました。でも『お腹の子は守りたい』という想いが強く、退職を決意

素直に喜べなかったから神様に考えなさいと言われたよう

出産当日、『お母さん最後力んで!!」と言われ力み無事に出産か⁉と思いきや、猛烈な痛みが襲ってきて、耐えきれず意識を失いました。。目を覚ますと、医師から救急搬送され今ICUに入っています」と教えてもらいました。我が子の顔も見れず、抱くことも出来ず別々の病院…毎日猛烈な痛みと闘いながら、妊娠が分かった時、素直に喜ぶことができず、拒んだダメな母親だから神様に『命の重さを考えなさい』と言われた気がしました。

嬉しい気持ちが小さな焦りに変わっていく

1週間後我が子と初対面。初めて抱っこできた喜びは今も鮮明に覚えています。嬉しい気持ちとごめんなさいという気持ちが混ざり合っていたことも。喜びはさておき、生まれた時から哺乳瓶でこの一週間過ごしてきたせいなのか、我が子は、乳から上手く飲ますことができず・病室で一緒に過ごす時間もショートスリーパーで泣き続ける・寝ていない我が子を窓越しから見ていて、小さな焦りが大きくなっていきました。助産師さんに助けてが言えなくて、自分でどうにかしないといけないと思いこんでしまいました。

実家にいるのにワンオペ育児

無事に退院後、輸血をしたことにより3か月外出禁止になってしまってので急遽、実家に戻りました。実家に帰った私は部屋にこもりっきり、子どもと二人っきり。両親も弟もいたのに『頼ってはいけない』『迷惑をかけてはいけない』『私が全部面倒を見ないといけない』と私の悪い癖が出てしまい、一人でワンオペ状態に。かわいいと思いつつも、寝ない我が子なんで泣いているか分からない・眠い・疲れた・外に出たい・うるさい…育児の参考書を見ては、『自分がこの通りにやらないといけない』『この通りに育てないといけない』『しっかりしないといけない』このころから小さなイライラが心にどんどん溜まっていったのでしょうね。今思えば産後うつになっていたかもしれませんね。

さぁ本格的なワンオペ育児イライラが

自宅に戻りましたが、主人は朝早く帰りは夜中前後に帰ってくる人でしたのでワンオペ育児継続中。離乳食が中期くらいに差し掛かったころ、違和感を持ち始めました。後期には、ご飯を嫌がる。食べたくないのか食べれないのか分からず、育児の参考書を見ながら色々食べさせますが嫌がる嫌がる泣くは叫ぶわ…。「なんで食べてくれないの?」「何がいけないの?」とイライラしてしまうことが日に日に増えていきました。そんな中、子ども少しずつ成長し他の子どもと接することが多くなりました。その中で、席に座れなかったり、どこかに行ってしまったり、明らかに他の子と様子が違う我が子にイライラをぶつけてしまうことが多くなりました

もう限界、壁殴り穴をあけてしまった私

イライラが頂点を達して、「子どもを殴ってはダメだ!」と同時にもう限界!!間仕切りの戸を殴り穴を開けてしまいました。親からも受けていたということもあったので自然と手が出てしまう自分が昔からいましたが、ただ、これが間違っている方法だと頭ではわかっていても止められずくり返してしまう自分が嫌で嫌で、これを機に初めて相談所に行くことにしました。

相談所に行くも『虐待』と言われ、解決に至らず

相談員は話を聞いて『お母さん、それは虐待だよ』と言いました。『そんなの分かっているよ!!だからここにきているんじゃん!!どうにかしたいからここに来ているのに!!』と思いながらい何回かお話をしましたが「お母さん叩いてない?」「お母さん大丈夫?」みたいな話だけで、解決には至らず行くことをやめて引っ越しました。

こんな母親で二人目を望んでいいのか…矛盾と葛藤

新たな環境。このころには娘も幼稚園生。しかし、今だに食に興味がないし、落ち着きはなし、大丈夫だろうかと思いながらも、だいぶ落ち着いた日々を送っていました。このころ、二人目を不妊治療中。一人の娘に対してこんな母親なのに次の子を授かってもいいものか同じことをくり返してしまうのではという不安や心配…でも将来のことを考えたら兄弟がいた方がいいのではないかと悩んでいました。2年の不妊治療も金銭面でも精神的にも限界が来ていたため、主人と相談した結果、不妊治療をやめることにしました。娘を愛していこうと決めた、わずか半年後に妊娠…えっ?まさかの?え?やったぁ

娘も悩み始じめ、私も再び悩み始める

娘が小学1・2年生は学校生活は、大きな問題なく過ごしていましたが、小3あたりで漢字が分からない・文章問題分からいと娘に言われました。担任先生にの相談しましたが、とりあえずは…ということで、家での復習に力をいれて分かったことが、漢字読めない、書けない、ほとんどひらがなで文は書いてあり、自分で書くことができていなかったのです。なぜ?1.2年問題ないと言われていたのに!?そして、娘は小4で初めてお友だちの言っていることが分からないと言い始めました。女の子特有の会話についていけなくて苦しいと言われたのです!!担任の先生に相談して様子を見てもらう事と先生と交換日記を書きながら漢字と文章作りを兼ねてやってもらうことにしました。が、特に改善することはなく私の中でどうしたらよいのか分からなくなってきてしまいました

娘だけでなく息子も

息子も娘と似たような個性+時制・数字などの概念がなくずっと保育園のホールでずっとクルクル回っていたり、お友だちとコミュニケーションが取れなかったり、教室にいなかったり、団体行動が一緒に出来なかったりまぁ色々な問題が一気に出始めました。

再び暴走しだす私


数々な悩みが一度に押し寄せてきて、どうにかしないとという思いで、試行錯誤やってみるものの、できない自分とできない子どもに当たることが多くなり、毎日が自己嫌悪の日々。苦しくて、悔しくて、やり場のない怒り、悲しみ色々な感情がぶつかって過ごす日々が続きました。

ママ友に言われた「グレー」という言葉

未就園児クラスのママ友に「うちの子と動きが似ているねうちの子グレーなんだよね!」と言われました。「えっ?似ているの?』『グレーとは?』一体なに?と思っていると「あなたの保育園に先生専門だけど、落ち着きがない子を見てくれる先生が来てるから、その先生と話せるか先生に聞いてみな!」といわれ、その先生と面談してもらえるように頼み、うちの息子を見てもらうことになりました。

初めて、我が子を理解してくれる人に出会えた瞬間でした

お母さん今困っていますよね?辛かったのでは?」と聞かれたので「はい」と即答しました。息子を見てもらった感想を聞くと、「今は、ハッキリとは言えませんが、発達障がいの疑いがあるかもしれませんね。私どもの施設で療育を行っています・良ければ4月~になってしまいますが来られますか?」と言っていただけたのです。

救われた言葉

「グレー」という言葉を知ってから、色々調べたり、セミナーに足を運んで発達障害の知識を少しずつ入れるようになりました。知れば知るほど、娘・息子の症状に当てはまっていきました。どこへ行ってもお母さんのせいではない」「しつけのせいではない」生まれ持った個性という言葉にどれだけ救われたのか分かりませんでした。

恩師に出会う。まずは「自分を認めてほめて大事にする」ことが大事。

同じ悩みを持つママ友から「ここ良かったよ」と聞いて、「発達障害コミュニケーション初級」という二日間13時間という驚異のセミナーを受けることになりました。そこで出会った講師の津守先生に出会い「子どもを育てる周りの大人たちがイライラして心に余裕がなければ自分以外人には、優しくなれなかったり、受け入れることができないよ」「まずは自分を認めてほめて大事にする」と「過去の自分から今の自分を先ずは頑張ったと言ってあげて、まずはそこから。」

自分自身が嫌いで自分を受け入れることができない。

私は、人の顔色や人の目を気にして生きてきて、見栄を張ったり、苦しくても助けてと言えず自分で踏ん張ったきた結果甘えることができず、甘えている人を見ると妬み、嫉妬している自分が嫌で、でもできない自分も、人を傷つけてしまう自分、優しくなれない自分が大っ嫌い。そんな私が自分を頑張ているとほめることができるのだろうか、こんな自分をほめていいのだろうか…受け入れることができない自分がいました。

学びを通して色々な人と出会い繋がっていく

私は今日も頑張った」・・・最初は全く気持ちがこもっていませんでした。とりあえず、言ってみる。先生の講習会は毎週1回あったので必ず、最低でも週1回は嫌でもほめることになりました。でも、週1ペースで講習を受け他のセミナーに足をは運びそこで同じように悩んでいる方・勉強しにくる方と知り合っていくうちに、心が少しずつ軽くなっていくような感じになりました。みんな親身になって、話を聞いてくれたり、聞いたりして連絡を交換したり情報共有したり、自分の知りたかったことが色々の人と出会ったことにより不安や悩みを解消していくすべを学び、教えてもらいました


自分をほめている自分は、わが子をほめることが楽しくなる

不思議なことに毎日自分をほめて寝るを2年半ほどしていると、素直に自分をほめている私がいます。そして今は、子どもと一緒に寝る前に必ず3つほめてから「おやすみ」を言うようにしています。「良かったこと」「できたこと」「頑張ったこと」を今日の出来事を覚えていない子だけれど質問1つ変えるだけで話ができるやり方も身に付けた私は『3つ』今日は何をほめようと楽しみにしているくらいになりました。自分の気持ちのコントロールや頭の中のモヤモヤの整理の仕方なども習得した私は、今一番楽しく過ごしています。そして『今の私が一番好き』と言えます。

私がつまづいたりしたときは、手を差し伸べてくれる人たちがいる

そんな私も、悩みはまだまだあります。ジタバタしたり、時には立ち止まったり、後退もします。でも私を今はサポートしてくれる人たちがたくさんいます。そして、背中をそっと支えてくれたり、時には押してくれます。それがどんなに私の力になっているのか感謝しかありません

いつからか思うように

自分がいつからかお母さんと呼ばれ、右も左も分からず、一番苦しかったころ、自分の周りに『お母さんが、胸の内を話せるスペース』『自分の思いを吐き出せるスペース』『少しでも楽になるスペースはないのか?』『悩みを少しでも解決してくれるスペースはないのか?』とずっと思っていました。でも、相談は出来たとしてもその場限りでモヤモヤがなくなることは、ほとんどありませんでした

私のように、なぜ、うちの子は他の子と違うの?違うけれどどうしたらいいの?そう思っているお母さんが他にもいるかもしれない。

もし、同じように苦しんでいるお母さんがいるのであれば
お母さんの切実な思いを一緒に話せる・聞ける場所がないなら私が作りたい!
少しでもいいから困っていることが減って我が子を心から、嬉しくて笑って抱きしめたり、ほめたりして欲しい!!という思いでカウンセラーになりました
私は今なら「大丈夫だよ。一人ではないよ!」「あなたが抱えていることは話していいことなんだよ」「人を頼っていいんだよ」「頼ってきてもいい場所はあるよ!!」と伝えていきたいと思っています。



あなたの勇気が希望に変わる大きな一歩☆


《取得資格》
『日本癒しびと普及協会』
☆認定カウンセラー  ✰認定癒しびと
『AMWEC認定』☆発達障害コミュニケーション初級指導者  ☆臨床応用コミュニケーション 5・4級

『人間力認定協会』☆児童発達支援士

子育て支援員
美容師免許
『日本トータルビューティセラピスト協会主宰』 

まつげエクステンションディプロマ取得    ☆耳ツボジュエリー ディプロマ取得